1: 人間七七四年 2011/03/21(月) 15:23:45.73 ID:ASJj2MV7.net
何故、偽名で呼ぶのか??
本名で呼べよボンクラどもが
3: 人間七七四年 2011/03/21(月) 20:35:25.44 ID:65R2OqmU.net
当主が使う「幸」の字を兄が保身のために捨てたから、幸村と名乗ったのだろうな。
失礼どころか、彼にしてみれば正当な評価だよ。
失礼どころか、彼にしてみれば正当な評価だよ。
13: 人間七七四年 2011/03/23(水) 10:10:15.13 ID:MYbLF3hs.net
>>3
家臣の生活もかかってるお兄ちゃんは仕方無いだろう…
家臣の生活もかかってるお兄ちゃんは仕方無いだろう…
5: 人間七七四年 2011/03/21(月) 21:02:14.35 ID:nAr/7PJV.net
幸村の本当の名前が信繁だと知ったとき幸村と呼ぶ事に抵抗を感じるがその内どうでもよくなる
6: 人間七七四年 2011/03/21(月) 21:02:32.64 ID:65R2OqmU.net
名乗ってたのは事実だろうよ。
それは兄が幸の字を捨てたから。
それは兄が幸の字を捨てたから。
7: 人間七七四年 2011/03/21(月) 21:34:34.22 ID:suil0wKn.net
北条早雲や吉田兼好は教科書等で訂正してきてるけど、幸村だけは一般に認知されないな
北条早雲
諱は長らく長氏(ながうじ)または氏茂(うじしげ)、氏盛(うじもり)[1]などと伝えられてきたが、現在では盛時(もりとき)が定説となっている。通称は新九郎(しんくろう)。号は早雲庵宗瑞(そううんあんそうずい)。生年は、長らく永享4年(1432年)が定説とされてきたが、近年新たに提唱された康正2年(1456年)説が有力視されつつある。
なお伊勢家が、北条姓を称したのは早雲の嫡男・氏綱からであり、存命中に「北条早雲」の名が使われた確実な史料は乏しい点に注意する必要があるが、通例では遡って「北条早雲」と呼ばれる。
8: 人間七七四年 2011/03/22(火) 02:09:46.98 ID:2nH0zM5o.net
その二人に比べたらかなり歴史的重要度が落ちるからな。
片や歴史的ターニングポイントの象徴。
片や有名な著作を持つ作家。
片や歴史的ターニングポイントの象徴。
片や有名な著作を持つ作家。
宮崎繁三郎がどんなに優秀な指揮官だろうと、石原莞爾や徳富蘇峰のことに比べりゃ後回しにされるのと同じさ。
9: 人間七七四年 2011/03/22(火) 16:46:22.13 ID:4QXyMf9p.net
幸村という名前自体に魅力を感じているならそこらの赤子に「幸村」って付けそうもんだが、聞いたことないな。信繁は知り合いにいるけど。
10: 人間七七四年 2011/03/22(火) 21:05:43.95 ID:B92HFMen.net
吉宗の御世に、伊達家が宗を村に差し替えてたことに「村」は由来するんだっけ?
そう考えると、幸村って名は随分後に出来たことになるが。
そう考えると、幸村って名は随分後に出来たことになるが。
11: 人間七七四年 2011/03/23(水) 06:03:22.04 ID:68bsx600.net
何だ何だ、お兄ちゃんの糾弾の流れとか俺が許さない
12: 人間七七四年 2011/03/23(水) 09:58:53.22 ID:xwpL2bSY.net
真田幸村の本名は、実際のところ、今もって不明なんだよね。
スレ主の言う、信繁って言う名前も偽名かもしれないんだよね。
歴史は不明なことが多過ぎる。
スレ主の言う、信繁って言う名前も偽名かもしれないんだよね。
歴史は不明なことが多過ぎる。
20: 人間七七四年 2011/03/23(水) 21:45:54.33 ID:Bew+MU+c.net
>>12
大坂落城前に本人が「信繁」と署名している文書があるんだが。
大坂落城前に本人が「信繁」と署名している文書があるんだが。
22: 人間七七四年 2011/03/23(水) 22:11:19.01 ID:xwpL2bSY.net
>>20
そのとおりで、信繁と書かれた手紙は多数存在しておりますね。
だけど、信繁は名前を別の名前に改名したと言う説もあるんですよ。
改名後の名前は忘れましたが…
そのとおりで、信繁と書かれた手紙は多数存在しておりますね。
だけど、信繁は名前を別の名前に改名したと言う説もあるんですよ。
改名後の名前は忘れましたが…
真田信繁
蟄居中の慶長16年(1611年)に父・昌幸は死去。慶長17年(1612年)に信繁は出家し、好白と名乗った。
16: 人間七七四年 2011/03/23(水) 12:10:30.56 ID:DDSiwzEP.net
じゃあ斎藤道三は何て呼べばいいんだよ!
実は三番目くらいの名前を本人は一番気に入ってたかもしれないだろ
実は三番目くらいの名前を本人は一番気に入ってたかもしれないだろ
17: 人間七七四年 2011/03/23(水) 13:04:55.92 ID:xwpL2bSY.net
>>16
何番目の名前でも良いと思いますよ。
だけど、道三と言う名前が一番一般的じゃないかな?
だけどあなたは、三番目の名前で呼んであげてくださいね(^_-)-☆
何番目の名前でも良いと思いますよ。
だけど、道三と言う名前が一番一般的じゃないかな?
だけどあなたは、三番目の名前で呼んであげてくださいね(^_-)-☆
18: 人間七七四年 2011/03/23(水) 15:10:06.90 ID:G9zwuReR.net
諱で呼ぶ時点で礼を逸してると身も蓋もないことを言ってみる
19: 人間七七四年 2011/03/23(水) 16:07:05.03 ID:xwpL2bSY.net
>>18
確かに諱で呼ぶ時点で失礼ですな。
その辺、スレ主は理解していないのかな?
と言いつつ、自分も諱で呼んでいるけどね。
確かに諱で呼ぶ時点で失礼ですな。
その辺、スレ主は理解していないのかな?
と言いつつ、自分も諱で呼んでいるけどね。
諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)、真名(まな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語ではTrue name(直訳すると「真の名」)がそれに当たる。
時代劇で例を挙げると、江戸時代の旗本で、時代劇『遠山の金さん』の主人公の遠山景元の場合、諱は「景元」であるが、劇中においてこの名で呼ばれる事はなく、百官名である「左衛門尉」、あるいは仮名である「金四郎」(さらにこれから派生した金さん)の名で呼ばれる訳である。一方で『水戸黄門』において「こちらにおわすは水戸光圀公なるぞ」と、自らの主君を主君より目下の者に対して諱で紹介するのは、考証として間違っている事になる。
21: 人間七七四年 2011/03/23(水) 21:50:28.39 ID:EPYwrqcC.net
官位で呼べよボンクラどもってこと?
23: 人間七七四年 2011/03/23(水) 22:28:52.10 ID:C8sB/wjy.net
武田信玄じゃなくて晴信が本名だっけ
24: 人間七七四年 2011/03/23(水) 22:31:24.06 ID:Bew+MU+c.net
>>23
本名:晴信
出家後の名:信玄
本人が名乗った確証がまったくない「幸村」とはわけが違う。
本名:晴信
出家後の名:信玄
本人が名乗った確証がまったくない「幸村」とはわけが違う。
25: 人間七七四年 2011/03/23(水) 23:49:49.03 ID:qD/l7qRr.net
確かに俺がいくらジョニー・デップに激似だからってジョニーって呼ばれたら戸惑っちゃいますね(笑)
26: 人間七七四年 2011/03/24(木) 10:49:19.25 ID:DjZaXrX0.net
あれ?幸村は一回だけ使われたんじゃなかったっけ
平時は信繁だったと思うけど
平時は信繁だったと思うけど
現在でも「真田幸村」の名で広く知られているが、直筆の書状を始め、生前の史料で「幸村」の名が使われているものは無く、その忌み名=諱=実名においては「信繁」が正しい。
「幸村」の名が見られるようになったのは夏の陣以後で、寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』(万年頼方・二階堂行憲の著)がその初出と判明している。時代が下るにつれ「幸村」の名が広まっており、江戸幕府編纂の系図資料集である『寛政重修諸家譜』や兄・信之の子孫が代々藩主を務めた松代藩の正史においても「幸村」が採用されている。
「幸」は真田家(厳密には真田家の本家にあたる海野家)の通字であるが、「村」については諸説あるものの由来は明確ではない。
大坂夏の陣から200年近く後、文化6年(1809年)、徳川幕府の大目付から「幸村」名についての問い合わせを受けた松代・真田家は、「当家では、『信繁』と把握している。『幸村』名は、彼が大坂入城後に名乗ったもの」との主旨で回答している。
27: 人間七七四年 2011/03/25(金) 22:27:08.44 ID:6SmbwNhg.net
松代藩士が遺した「滋野通記」には信之が「信玄の弟と同じ名で信繁、
文字も同じだったが、高野山蟄居の時に幸村と改めた」と語った
と書いてあるとか…これが信用できる史料なのかは知らんけどw
文字も同じだったが、高野山蟄居の時に幸村と改めた」と語った
と書いてあるとか…これが信用できる史料なのかは知らんけどw
松代藩士の遺した「滋野通記」に「信玄の弟と同じ名で信繁、高野山蟄居の時に幸村と改めた」と信之が語ったとの史料が残っております。関ヶ原後に信之が『幸』の字を捨てた為、信繁が幸村に改名したとの説が有ります。
28: 人間七七四年 2011/03/26(土) 00:22:53.87 ID:w6knhzLY.net
十分信用できる史料ですよ。
滋野通記は松代藩士馬場政常の手になる滋野世記と真武内伝に各地に残る史料を吟味しまとめ直したもので
信之時代の記述はかなり信頼出来るものです。
誰かウィキの編集を宜しくお願いいたします。
滋野通記は松代藩士馬場政常の手になる滋野世記と真武内伝に各地に残る史料を吟味しまとめ直したもので
信之時代の記述はかなり信頼出来るものです。
誰かウィキの編集を宜しくお願いいたします。
29: 人間七七四年 2011/03/26(土) 01:28:26.84 ID:VJCEl9lF.net
いや自分で滋野通記読んで確認してから編集しろよ
31: 人間七七四年 2011/03/30(水) 09:56:58.31 ID:KvRyi3EV.net
真田家では江戸時代の家計図から既に幸村が主になってるんだよな。
真田家が編纂した「左衛門佐君伝記稿」にも幸村という名前が使われている。
真田家が編纂した「左衛門佐君伝記稿」にも幸村という名前が使われている。
32: 人間七七四年 2011/03/30(水) 10:14:03.31 ID:WYNWDmlY.net
江戸時代にかかれたものなんてみんな軍記物であてになんないんでしょ?w
幕府に遠慮してるんだから
幕府に遠慮してるんだから
35: 人間七七四年 2011/03/30(水) 12:47:23.40 ID:S599vEyY.net
幸村はフィクション
信繁はノンフィクション
これでいいだろ
信繁はノンフィクション
これでいいだろ
37: 人間七七四年 2011/04/01(金) 03:35:56.68 ID:9pE1qv5S.net
世間一般に
幸村で通っているから自分だけ変えて呼んでたら話がかみ合わなくなる
幸村で通っているから自分だけ変えて呼んでたら話がかみ合わなくなる
38: 人間七七四年 2011/04/01(金) 07:04:45.27 ID:OKivFWyx.net
幸村のほうがカッコいいだろ
命名した人センスあるわ
命名した人センスあるわ
43: 人間七七四年 2011/04/01(金) 20:40:31.47 ID:qYbsfSl3.net
>>38
オレももっとカッコいい名前を命名してほしいもんだなあ、
といって叶うものか?
本人が名乗ったことのない名前を後世の他人が名付けて、
本人は怒ってるんじゃないか?
オレももっとカッコいい名前を命名してほしいもんだなあ、
といって叶うものか?
本人が名乗ったことのない名前を後世の他人が名付けて、
本人は怒ってるんじゃないか?
44: 人間七七四年 2011/04/01(金) 21:24:06.54 ID:NqGTDx/y.net
>>38
武田信繁にあやかって昌幸が名付けたのに(つД`)
武田信繁にあやかって昌幸が名付けたのに(つД`)
47: 人間七七四年 2011/04/12(火) 14:52:12.08 ID:ooG8CgNW.net
>>1
今更ながら侍の諱を呼び捨てなんて失礼極まりない。
通称で呼べよボンクラ。
今更ながら侍の諱を呼び捨てなんて失礼極まりない。
通称で呼べよボンクラ。
48: 人間七七四年 2011/04/13(水) 08:30:52.76 ID:IAyeKDEx.net
とにかく幸村は真田幸村以外有名な人物はおらんから真田幸村でいいじゃん
信繁は川中島で討ち取られた武田信繁の方が圧倒的に有名だから
具合が悪すぎる
名前にも独創性ってのが大事なんだよ
信繁は川中島で討ち取られた武田信繁の方が圧倒的に有名だから
具合が悪すぎる
名前にも独創性ってのが大事なんだよ
51: 人間七七四年 2011/04/14(木) 07:02:05.77 ID:/NhZf3wm.net
本当は幸盛だからwwww情弱乙wwwww
52: 人間七七四年 2011/04/21(木) 21:30:14.28 ID:QLfcIig6.net
個人差や性格によるこだわりはもちろんある前提で
諱って普段ほとんど使わないから本人ですらうっかり忘れちゃったり
することもあったみたいだし
諱って普段ほとんど使わないから本人ですらうっかり忘れちゃったり
することもあったみたいだし
昔の人ってしょっちゅう改名したりいろいろ別称があったりするから
実はあんまり気にしてないんじゃないかなあと思うんだよなあ
西郷隆盛の逸話なんかまさにそんな感じ
で 真田幸村については
幸村と呼ばれるようになったとこまで
かの個人の歴史と個人的には捉えているのでどっちでもいいというか
なんでそう呼ばれるようになったか考え始めるとワクワクして眠れなくなることがあって困る……
53: 人間七七四年 2011/04/21(木) 23:27:54.02 ID:Sw4QqJRo.net
それはな
戦死直後に信幸が弟の墓を建てたいと思ったが
信繁の墓ではお家取り潰しの絶好の口実になるから
あらかじめ幕府に信繁にいつも仕えていた幸村というのがおりまして
これの墓を建てたいと許可してもらった
それで幸村となったんだよ
分かったか?
戦死直後に信幸が弟の墓を建てたいと思ったが
信繁の墓ではお家取り潰しの絶好の口実になるから
あらかじめ幕府に信繁にいつも仕えていた幸村というのがおりまして
これの墓を建てたいと許可してもらった
それで幸村となったんだよ
分かったか?
54: 人間七七四年 2011/04/22(金) 00:23:07.18 ID:FN7yPCXC.net
>>53
説はそれだけじゃないでそ?
もしかしたらどれかの説があってるかもしれないし
どの説もあってないかも知れない
この先新しい史料が見つかるかも知れない
説はそれだけじゃないでそ?
もしかしたらどれかの説があってるかもしれないし
どの説もあってないかも知れない
この先新しい史料が見つかるかも知れない
そう考えるとワクワクすんだ
まああくまで個人的な楽しみなので気にしないでクダサイ
55: 人間七七四年 2011/04/23(土) 23:37:06.39 ID:7DpHsBBW.net
文献に初めて『幸村』の名前が登場するのは『難波戦記』と言われてます。
んで、『幸』はイイとして『村』ですが、
1.幸村の姉『村松』からとった。
2.仙台伊達藩に仕えた幸村の子孫(片倉重綱の子孫?)が当時の主君『伊達綱村』から拝領した。
という説が有力だそうです。
んで、『幸』はイイとして『村』ですが、
1.幸村の姉『村松』からとった。
2.仙台伊達藩に仕えた幸村の子孫(片倉重綱の子孫?)が当時の主君『伊達綱村』から拝領した。
という説が有力だそうです。
ずっと気になっていた『難波戦記』
大正時代の写しですが、ようやく入手しました。読んでみると、成る程『真田左衛門佐幸村』となっておりました
推測ですが、江戸時代のこの難波戦記。
作者は徳川幕府の目を恐れて、『真田左衛門佐信繁』の名を書けなかったのでは?とも思いました。
『幸村』と記す事で『これは物語ですよー』って言いたかったのかもしれません。
56: 人間七七四年 2011/04/24(日) 00:30:05.10 ID:h0NwpOL0.net
重綱の子孫じゃないよ
幸村の次男の大八守信の子孫
真田を名乗れなかったから暫く片倉姓を名乗ってはいたけどな
幸村の次男の大八守信の子孫
真田を名乗れなかったから暫く片倉姓を名乗ってはいたけどな
難波戦記に関してはよく言われるけど戦記の成立前の文政年間に書き写された
大坂陣図にすでに幸村という名があるというし
もっと前から創作されてたか、あるいは…
と 考え始めると今日も眠れなくなるわけだっ
57: 人間七七四年 2011/04/24(日) 00:38:26.45 ID:h0NwpOL0.net
あっごめんまちがえた
難波戦記の方が古いんだった
難波戦記の方が古いんだった
58: 人間七七四年 2011/04/27(水) 18:04:37.46 ID:oo/MgSCD.net
北条早雲は伊勢宗瑞または伊勢盛時と訂正されてきているな
59: 人間七七四年 2011/05/28(土) 01:21:30.51 ID:tlnCVZN5.net
そもそも幕府は名前なんて
全然気にしてないよな
全然気にしてないよな
62: 人間七七四年 2011/09/15(木) 09:22:54.92 ID:nWiTQoTH.net
>>59
ほんの些細な下らない事に言いがかりをつけて来て藩を取り潰す連中だよ
「国家安康」を家康を真っ二つにするなんて風にな
ほんの些細な下らない事に言いがかりをつけて来て藩を取り潰す連中だよ
「国家安康」を家康を真っ二つにするなんて風にな
67: 人間七七四年 2011/11/03(木) 07:58:25.25 ID:l/yCwP6C.net
真田十勇士の名前の方が有名って、ある意味かわいそうだな
江戸時代の書物って現在でも影響力高いな(テレビやゲームで)
忠臣蔵とか太閤記
江戸時代の書物って現在でも影響力高いな(テレビやゲームで)
忠臣蔵とか太閤記
71: 人間七七四年 2012/03/14(水) 09:07:02.40 ID:R6y+eg8s.net
大坂夏の陣後、信之が弟の墓を建てたいと思ったが、本名では藩取り潰し絶好の口実になるので
幸村という名前で墓を建てた
それで幸村という名前が定着して、真田本家も幸村で記録している
幸村という名前で墓を建てた
それで幸村という名前が定着して、真田本家も幸村で記録している
78: 人間七七四年 2012/06/11(月) 00:13:40.47 ID:MpQ+Jz2a.net
>>71
江戸時代芝居で石田三成の名を使うと幕府に咎められる危険があったから
「岩田光成」なる役名で登場させた例と同じっぽいですね
江戸時代芝居で石田三成の名を使うと幕府に咎められる危険があったから
「岩田光成」なる役名で登場させた例と同じっぽいですね
80: 人間七七四年 2012/12/17(月) 11:36:10.70 ID:bZlnAUp4.net
>>78
べつにw三成だけでなく、古典歌舞伎の『絵本太功記』の世界では
「小田春長」に「真柴久吉」「武市光秀」だし。
べつにw三成だけでなく、古典歌舞伎の『絵本太功記』の世界では
「小田春長」に「真柴久吉」「武市光秀」だし。
忠臣蔵の大石は大星由良之助だし
73: 人間七七四年 2012/03/16(金) 08:23:43.95 ID:PAw420KI.net
真田幸隆じゃなく、真田幸綱じゃないかって言うのは前からあるよね。
海野出身なら、綱の方が正しい気がする。
その論文、ちょっと読んでみたいな。
海野出身なら、綱の方が正しい気がする。
その論文、ちょっと読んでみたいな。
74: 人間七七四年 2012/06/07(木) 16:28:26.92 ID:w6R5o2HN.net
高坂昌信は本当は春日虎綱っていうんだぜ言ったら「それ違う奴じゃね」とか
フルボッコされた苦い思い出
フルボッコされた苦い思い出
引用元: ・真田信繁を幸村と呼ぶ奴は失礼過ぎる
