保阪正康、川田稔、山下裕貴、新浪剛史、楠木建
太平洋戦争で日本を敗戦に陥れたエリート軍人を分析すると、現在の日本でも通じる巨大組織の問題が浮かび上がってくる。なぜエリートは愚策に走るのか。昭和の陸軍軍人を題材に、歴史、軍事、経営の専門家が座談会に集まり、「日本型エリート」の欠点を総括した。
■牟田口、服部、辻は人間的にも“悪玉”
楠木 昭和の陸軍軍人で、会社経営をするとしたら、最強の布陣はどうなるかを、経営学的観点から私なりに考えてみました。まず代表取締役社長は永田(鉄山)か石原(莞爾)。その下で、実際に事業を率いて貰うとしたら、栗林(忠道)、宮崎(繁三郎)、今村(均)、山下(奉文)などの方々が適任かと思いました。
新浪 栗林さんは経営者も出来ると思うな。競争相手に対してどう戦うべきか。その戦略を立てて実現する力は抜群ですから。あと海軍で恐縮だけど、最後の海軍大将の井上成美もいいと思います。先を見て人を育てていた。経営者は次世代の人材をどう育成するのかも、非常に重要ですからね。石原は、誰かがダメになった時のプランBとして使うのならいいかもしれない。
楠木 なるほど。ちなみに私が絶対に会社にいて欲しくない軍人が、3人います。牟田口と服部卓四郎と辻政信です。この3人は能力に問題があっただけでなく、人間的にも相当“悪玉”だったのではないかと思います。
新浪 私も牟田口は最も評価できない軍人です。第15軍司令官として、兵站を無視した杜撰な計画で3万人もの兵士を失った1944年のインパール作戦は、あってはならない作戦でした。
川田 牟田口も二・二六事件で運命が変わった1人です。40代半ばころは参謀本部で庶務課長を務めるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの時期もあった。しかし皇道派だったこともあり、事件後は北京の歩兵第1連隊に左遷されます。
保阪 いつか功績をあげて、軍中央へ戻りたいと思っていたのでしょう。連隊長として盧溝橋事件を引き起こしたのも、功を焦ってのことでしょうね。
山下 以前、盧溝橋を見に行ったことがあります。牟田口は太平洋戦争がはじまると師団長としてマレー進攻作戦に参加し、その後、シンガポールに向かいました。そこで出撃する部下に対して「お前とはもう会えないだろう」と言っている。部下が死ぬという前提に立って考えているんですね。それがインパール作戦の兵站軽視につながる。
新浪 糧秣を現地調達するという方針には賛同できません。実際、この戦いでは戦死者だけでなく、多数の方が餓死や病死されています。また、現地で調達すれば、当然、現地の人たちから不評も買うことになります。
■牟田口は戦後も「弱腰の師団長が悪い」と言い続けた
保阪 この作戦自体も、一つには牟田口自身の焦りから生まれたものでした。上長にあたるビルマ方面軍司令官の河辺正三中将に「閣下と本職はこの戦争の根因となった支那事変を起こした責任があります。この作戦を成功させて、国家に対して申し訳がたつようにせねばなりません」と言ったといいます。
もう一つの理由が東條でした。東條は大東亜会議でアジアの解放を決議し、国策としたにもかかわらず、お題目だけに終わっていた。そこに牟田口が「戦えば必ず勝つ。私には自信がある」と、最初は作戦決行を渋っていた東條を精神論で説得。最終的には、インパール作戦がインド独立の後ろ盾になるという政治的判断から、敢行されることになったのです。(以下ソース)
「牟田口廉也は無能、悪玉、卑劣の“三冠王”と言ってもいい」各界専門家が分析する“無責任”日本陸軍エリートの実名
https://bunshun.jp/articles/-/72578
牟田口廉也とは盧溝橋事件当時も部下と上司の関係であり、インパール作戦に際しては「かねてより牟田口が熱意を持って推進してきた作戦なのでぜひやらせてやりたい」と作戦を認可。その後、敗色濃厚となった1944年(昭和19年)6月に牟田口を訪ねて戦況を確認した際、両者とも作戦の中止を内心考えていた(後に、牟田口は防衛庁防衛研究所戦史室の取材に「言葉ではなく、私の顔を見て真意を察して欲しかった」と語っている)が、責任を取ることへの怖れからお互いにそれを言い出せず、結果として中止決定が遅れ、損害の拡大につながった。
無駄に日本軍を持ち上げるクセのある青山繁晴
軍隊スキーの小笠原理恵
この2人でさえ「現日本軍は戦える状態でない」と言っている
上のやつらが牟田口なみの無能、素人で現場がボロボロ、と
未だに本格的なドローン部隊すらないからな
最低のゴミ屑の評価はしゃーない
何をどうやっても擁護しづらい人
作戦中に造反が起きない時点でなんだかね
あらゆる意味で見放されたんだろうけど
人民寺院の集団自殺レベル
また馬鹿が牟田口批判w
インパール攻略戦は誰が司令官になろうが、やらなければならなかった必須の戦い。
そもそも海軍がインド洋からの補給線を叩かなかったのが一番悪い。
いや一切結果出てないのにやる必要ないだろう
結果?
インパール攻略戦は成功とまではいかないが、イギリス軍にも多大な被害を与えたんだが?
運悪く、開始時期には空中からの補給やらで、イギリス軍の防御能力が上がっていたのは不運だった。
逆張りのバカ
逆はりどころか、近年の評価はむしろインパール攻略戦に関しては評価は上がってるがな。
インパールがこういう評価なのは、30年前のNHK「ドキュメント太平洋戦争」から。
あんな左翼丸出しの番組の影響なのを知れよ。
評価してんのバーカーとバカのお前くらいじゃねw
いぎりの植民地支配に終止符を打った戦いとしての評価が上がっている
特にインドで🇮🇳
無謀だの犠牲者が多すぎると言われるが逆に言えば自らの身を削ってアジアの為に戦った証でもある
インドが漁夫の利で得しただけじゃん
ちゃう
元々インドの独立運動を支援する為の作戦だった
基本的に同意する。
インパールは援蒋ルートでありこれを遮断し中国を孤立させて脱落させたい。
脱落させれば中国戦線から戦力と資源を対米に振り向けられ、インドの反乱もあるかも知れず講和のチャンスがある。
充分な補給をみたいな話は出来もしない前提だし、牟田口でない誰かなら成功したのかはかなり疑問。かなり否定的に書かれているであろうインパールの作戦経過読む限りでもかなり良くやってんじゃねえのと思う。
成功するかどうか以前のどう見てもまともでない作戦やったことが問題なんだよ
まさに無能な働き者の典型が牟田口
アホな大将、敵より怖い
アラカン山脈超えてビルマに着いたころには、ボロボロになって疫病や飢えで逃げるように退却したけど、牟田口が何を勘違いしたのか「敵ができるなら、俺んとこもできるんじゃね?」と思ってしまったのが悲劇の始まり
オード・チャールズ・ウィンゲート(Orde Charles Wingate、1903年2月26日 - 1944年3月24日)は、イギリス陸軍の将校。陸軍少将。
第二次世界大戦中ビルマ戦線において英印軍特殊空挺部隊チンディットを編成した事で知られる。
敗戦の責は牟田口閣下ではなくて敵前逃亡した家畜と佐藤師団長に問われるべき
佐藤 幸徳(さとう こうとく、1893年(明治26年)3月5日 - 1959年(昭和34年)2月26日)は、日本の大日本帝国陸軍軍人。最終階級は中将。
山形県出身。陸士25期、陸大33期。インパール作戦において、軍司令官の牟田口廉也中将と対立し、作戦途中に師団長による独断退却を行ったことで知られる[1]。
桃太郎が連れてたイヌサルキジかよw
これすき
敵前逃亡する前に泳げもしない川を渡らされて
流された家畜も多かったわけで、水練を行わなかった
軍部の責任は問われるべきだろう
処分に困った陸軍が基地外扱いにしてウヤムヤにしたの草
遠出して、どこで何を食べるかを事前にある程度決めておいて、混まない時間に素早く入り旅路での食を楽しむ。
行き当たりばったりで何を食べるか考えずに、長時間待って美味しくもないものを食べる。
こんな男は女性に1番嫌われる。
兵站軽視はダメよ。
酷い目にあった連中はみんな死んじゃったからじゃね?
牟田口みたいなのが上に立つ構造的な問題だろ
まあ勝てば官軍だから勝った戦争はアラが目立たないだけだろうけど
社会って不思議
引用元: ・
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1723609229/