
桶狭間奇襲失敗
引用元http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1278003206
京都に行くのに美濃を通る必要はない。伊勢を通ればいい。
そもそもノブヤボのような戦国ゲームと違って京都行くのに京都の道中の諸勢力を滅ぼす必要はない。
そんなこと言ってたら、二度も上洛した上杉謙信はどうなるんだ?
しかも二度目の1559年の上洛は五千の兵を引き連れての上洛だ。
謙信の場合、越後から京都の道中にちゃんと断って許可取ってから上洛したんだけどな。
謙信ですら、そういうことができたのに足利家の親戚筋の今川家の上洛を邪魔する必要などない。
ただ、織田家とは敵対してたから何とかしなきゃいけなかっただけの話し。
仮に稲葉山を落としてそこを本拠地にするとかならともかく
奇襲失敗→信長死亡→尾張勢全面降伏ってことでしょ
ほぼ無傷で後背の心配もないんだから美濃攻略もイケる
名門今川の威光で近江も無抵抗で通過出来るだろう
全盛期の三好とぶつかる事になる
さすがに全盛期の三好には勝てないだろ
4年待てば三好兄弟みんな死ぬけどね
上杉謙信が上洛した時、三好長慶や松永久秀も謙信に挨拶にしにやってきたんだよね。
別に敵対してなければ争う必要もない。
そのとうりだな。
せいぜい将軍に拝謁して官位貰うくらいだろ。
そもそも2万5千も引き連れて京都まで行くとはとうてい思えんけど
上杉謙信が上洛した時、三好長慶や松永久秀も謙信に挨拶にしにやってきたんだよね。
↑そんな事実は何処にも載っていない
滅ぼさなかったら、遅くとも来年には帰らなきゃいけないわけだが。
後半は相手が違う。
浅井、朝倉連合に勝てるかどうかが、京への道が決まる
は?
今川がなんで浅井朝倉と戦わなくてはいかんの?
朝倉は織田の上洛すら邪魔してないし、浅井がわざわざ今川の上洛を邪魔するとは思えない。
そもそも、浅井と朝倉が旧知の仲だったというのは嘘で長らく敵対してたんだが。
今川は室町幕府の守護だから、将軍を訪ねたとしても、これは公務。それを妨げるのは公務執行妨害で、幕府への反逆になる。
伊勢の北畠、近江の佐々木などはやはり守護だから、通過を求められればそれを拒絶する理由がない。
また、この頃、義元は朝廷から三河守に任命されており、そのお礼言上も上洛の理由となる。
1560年の今川義元の行動は、上洛を目指していたと見るべきだろう。
ということは、史実で織田のやったことは公務執行妨害になるんだよね
この事件に関する織田追討令は出たのか?織田はいつ許されたのか?
これが二つともないんなら久秀なり三好なりが妨害してもいいんじゃないだろうか
それと事前に今川は幕府ないし朝廷に上洛する旨は伝えていたんだろうか?
足利義昭はのちに信長の庇護下に入るが、そのことによって信長のこの行為は不問に付された、と考えるべき。もし、義政政権が続いていれば信長との関係はありえなかっただろう。
しかし、信長の行為を許さないものもいた。近江佐々木がそれで、信長主導の義昭上洛への協力をあくまで拒否したのは、その理由による。
信長のこの行為を当事者として関わったもう一人、伊勢の北畠を信長は目の敵にし滅亡に追い込んだ。
挨拶しに行くのは公務だが、領土を奪おうとするのは公務じゃない。
三好はまだしも松永が普通に大名扱いされてるのがありえないわ
完全な独立勢力でもないけど久秀なら勝手にやりかねんと思ったから書き込んだまでの話
そもそもこの議論はここでやることじゃないんだが
松永は長慶が死ぬまでは忠臣の一人
きみは松永を過大評価しすぎだ
松永を単体扱いして良いのは1568年からだ
まああんたが誤解する発言したから訂正したまでだ
ということは、義龍が同じことをしても懲罰されないのですね
幕府の権威が失墜し、威令が届かないから戦国時代と呼ばれる。義龍も室町秩序の外側にいたから、今川の権威などは認めなかっただろう。
ただし、伊勢の北畠、近江の佐々木は幕府の秩序のもとにあるから、積極的に協力はしないかもしれないが、少なくとも今川の意図を妨害はしなかったろう。
あまり知られていないことだが、桶狭間の戦いの直前、鳴海城の近くの海上に服部右京之介率いる2000隻からなる船の大群が接近していた。
今川軍は鳴海で乗船して、伊勢に上陸し、上洛する予定であったと推測される。上の方で誰かが言っていたが、美濃を通る必要はない。
上洛、今川政権樹立の動きを見せたら、
甲相(特に信玄)が足をひっぱりだすと思う。
結局は桶狭間みたいな事になってたと思うけど
熱田沖に散った義元と今川軍2万5千。
ん!歴史は結局清洲で留守番を命じられた家康に微笑むのか!!
どこを通っても絶対安全ではないよな。
単なる織田領への軍事侵攻だ。
もっとも、それが終わったら将来的に上洛することはありえるだろうけど。
それもあくまで主家であり親戚の足利しよぅぐん家を立ててのものだしな。
何でも計画通りに進むとは限らない
ほぼ無傷で尾張平定を達成すれば伊勢、美濃への侵攻案も浮上してくる
正面から戦いをするのに無傷で済むわけないだろうが。
いや別に滅ぼさなくてもいいって。
大内義興の例を見ればわかる。
大内の場合は尼子すら滅ぼさずに上洛してるしな。
今川が戦わなくてはいけない例外は敵対していた織田と
畿内で足利家を圧していた三好だけ。
北畠、京極、六角など室町政権内の家と戦わなくていい。
または北条氏康に協力して小田原防衛
三国同盟VS全盛期関東管領上杉のドリームマッチが起こるかも
三国同盟VS全盛期関東管領上杉のドリームマッチは面白そう。
永禄4年、河越から北上した氏康・義元・信玄3万の軍勢と
厩橋から南下した憲政・謙信3万の軍勢が深谷あたりで合戦。
京へ登ろうとするなら美濃、近江、北伊勢は押さえんと
ならないから、おそらく寿命が尽きただろうな…
尾三遠駿120万石の義元なら、寿命までに上洛、管領就任できたのではないか。
まあ、途上で死んでも我らが氏真様が、天下一蹴鞠大会を開くために三好、六角を滅ぼすだろう。
上杉謙信が絶頂に達する
北条も自分が前面に出るのはできるだけ避けたい。
越後衆はいつでもサカリがついてるし、長野など上野上杉衆も血気盛ん。
そう考えると、初戦で憲政・謙信軍が先走る北条の武蔵衆を蹴散らし、
以後は川越や八王子などに分散してにらみ合い。
信玄や氏康、生きれいれば雪斎がなにか謀略をしかけるか、
義元が将軍家に働きかけて講和の使者で、
結局謙信が越後へ帰って終わるような気がする。
関連記事大河でおなじみ井伊直虎話の元になってる井伊家傳記て文書直虎死後100年経ってから書かれたらしいけどこういうの信憑性あるの?今川って義元が殺されただけでなんで滅亡しちゃったの?もし武田信玄が息子義信と飯富虎昌を粛清してなかったら織田信長「敵軍がワイらの何倍もおるやんけ!」