日本史

吉良上野介が悪いと言うより、殿中で、しかも大事な儀式の前に刀を抜いたら切腹だったんだが

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吉良上野介が悪いと言うより、殿中で、しかも大事な儀式の前に刀を抜いたら切腹だったんだが

1::2019/11/21(木) 20:31:43.53 ID:23VSU2+q0.net BE:194767121-PLT(12001)

注目映画紹介:「決算!忠臣蔵」堤真一、ナイナイ岡村W主演 あの「忠臣蔵」にお金の面からアプローチ
https://mantan-web.jp/article/20191121dog00m200035000c.html



引用元
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1574335903

4:急所攻撃(埼玉県) [ニダ]:2019/11/21(Thu) 20:32:56

吉良は悪い
上野介も悪い
以上となります
509:チキンウィングフェースロック(庭) [US]:2019/11/22(金) 18:29:51

>>4
どっちも吉良じゃねーか
27::2019/11/21(木) 20:45:56.51 ID:oHu0vusl0.net

>>4
これだよね
吉良も性格悪いけど
殿中で襲ったほうはDQNだろ
48::2019/11/21(木) 20:52:11.69 ID:3cBVuvpW0.net

>>4
吉良に瑕疵はないよ
儀礼を教えるプロに、安い謝礼を出した田舎大名が全部悪い
6:ジャストフェイスロック(東京都) [DE]:2019/11/21(Thu) 20:35:04

パワハラで、マウントとって見下し+暴力の屑が吉良。

池袋で車で轢き殺して無罪の上級国民飯塚が、令和の吉良。

592:ジャンピングDDT(家) [GB]:2019/11/23(土) 10:53:58

>>6 パワハラで、マウントとって見下し+暴力の屑が吉良。

ほんこれ。

595::2019/11/23(土) 11:04:27.60 ID:ebgjtemh0.net

>>592
それを裏付ける資料で信頼できるものがないのです
いろいろ言われてることには、芝居のための創作が多数混入しています
芝居は勧善懲悪ものなんで、吉良は徹底的な「悪役」でなければならないのです
627:ジャンピングパワーボム(SB-iPhone) [US]:2019/11/23(土) 15:20:36

>>595
吉良に貴族への対応指導を教えてもらう際の付け届けが少なかったから、吉良が怒ってきちんと指導せずむしろ浅野に恥かかすようなことをした、ていう証拠はないの?
7::2019/11/21(木) 20:36:21.41 ID:LxUhyyJc0.net

脇差しで斬りつけるって頭おかしいやろ
11:ニーリフト(SB-Android) [US]:2019/11/21(Thu) 20:38:49

>>7
ドスで突くみたく体重載せて腹を刺すべきだったよな
9::2019/11/21(木) 20:37:26.06 ID:4MwpQlFn0.net

そもそも殿中で刀を抜いた時点で理由を問わず死刑
だから浅野が死刑なのは当然であり
殺されかけても刀抜かなかった吉良が死刑にならないのも当然
36::2019/11/21(木) 20:47:39.19 ID:S/PCl4WC0.net

>>9
士道不覚悟
武士が刃を抜いた以上
確実にしとめるべし
83:ナガタロックII(福岡県) [DK]:2019/11/21(Thu) 21:09:41

>>9
抜かなくても切腹
10::2019/11/21(木) 20:37:54.36 ID:Xo8WOVIy0.net

浅野がキチガイなら「キチガイ主君のために命を張るなんてやりますねぇ!」評価になるから大丈夫
12::2019/11/21(木) 20:39:24.96 ID:6Q1T19p+0.net

殿中で刀抜いた時点でアウトなのに仕留めきれなかった浅野が悪いよー
390:ローリングソバット(福岡県) [US]:2019/11/22(金) 09:39:16

>>12
コレな

一度刀を抜いたら必殺の勢いで殺らねばこちらが殺られる
田舎藩主の坊っちゃん剣法がゴミだった故の敗因ナリ

13::2019/11/21(木) 20:39:50.28 ID:YuwDxq530.net

何の儀式の前だったんだ?
45::2019/11/21(木) 20:50:37.03 ID:GgRHiPfT0.net

>>13
儀式の前というより朝廷からの使者の接待中
15:ドラゴンスクリュー(ジパング) [US]:2019/11/21(Thu) 20:40:13

吉良の手当てをした栗崎道有の『栗崎道有記録』は、浅野長矩は癇癪持ちであったと記す。
同時代の儒学者の室鳩巣は著作『赤穂義人録』の中で「長矩は人と為り強硬(また「武骨者」と傍注をつけている)屈下せず」と頭を下げることを好まない性格であったと記している。

キチガイやんけ

434::2019/11/22(金) 12:33:20.21 ID:Rs9tAnXg0.net

>>15
浅野の親戚でも同じようなことやらかしてるやつがいるから血筋だったんだろうな
16::2019/11/21(木) 20:41:11.55 ID:MGfdE80T0.net

梶川与惣兵衛がいなかったら後から来た人達に切り捨てられたんかね
梶川 頼照(かじかわ よりてる)は、江戸時代前期の旗本。
元禄14年(1701年)3月14日、江戸城大廊下で浅野長矩が吉良義央に殿中刃傷に及んだ際に現場に居合わせ、長矩を取り押さえた(取り押さえたのは高家の京極高規との説もある)。この手柄で3月19日、武蔵国足立郡に500石加増され、それまでの下総国葛飾郡の所領とあわせて都合1200石となった。この事件の仔細を『梶川与惣兵衛日記』に残した。長矩が斬りかかる際に「この間の遺恨覚えたか」と叫んだ話もこの日記を根拠とするものである。

前述のとおり頼照は江戸城での浅野長矩の吉良義央への刃傷事件の現場に居合わせ、その事件の詳細を『梶川日記』に書き残している。事件に関する頼照の記述は現代語訳で見てみると次の通りである。

「自分はいつもどおり登城して大奥にいった。その日の奉答の儀式で自分は、御台所信子様の使いの役目があった。しかし吉良上野介殿からの伝言を受けて勅使様の都合で儀式の刻限が早まったことを告げられたので、詳細を直接吉良殿にお伺いしようと思って吉良殿を探した。松の廊下に面した下の御部屋にいた茶坊主に『吉良殿をお呼びせよ』と命じたが、その茶坊主は『吉良上野介様は御老中に呼び出されました』と答えた。そのとき勅使接待役の浅野内匠頭殿の姿が見えたので、自分はその茶坊主に『内匠頭殿をお呼びせよ』と命じた。それを受けて内匠頭殿が自分の方へ参られたので、自分は『諸事よろしくお願いいたします』とご挨拶申し上げた。内匠頭殿は『心得ております』と答えられ、下の御部屋の自分の席に戻られた。
その後、大広間から白書院の方を見てみたら吉良上野介殿が白書院の方からこちらへ来られるのが見えた。そこで自分はふたたび茶坊主に『吉良殿をお呼びせよ』と命じた。茶坊主はすぐに吉良殿の方へ行き、その伝言を受けた吉良殿の様子はよかろうと言った感じで、すぐに自分のところへ向かって来られた。なので自分も吉良殿に近づき、松の廊下がまがったところにある角柱から6間から7間ぐらいのところで吉良殿と自分は対面した。自分が『本日の勅使様の刻限が早まったのでしょうか』と吉良殿にお尋ねしていたところ、突然、誰だかはわからないが、吉良殿の後ろから『この間の遺恨を覚えているか』と声をかけてきて吉良殿に斬りかかった者がいた。

太刀の音はすごく大きく聞こえたが、のちに聞いたところでは傷はそれほど深くなくて浅手だったらしい。自分達も驚いてよく見れば、なんとそれは勅使御馳走役の浅野内匠頭殿であった。上野介殿は後ろのほうへ逃げようとしたところをまた二回ほど斬られ、うつ向きに倒れられた。自分達は内匠頭殿に飛びかかった。内匠頭殿との間合いは二足か三足かという短いものであったので、すぐに組み付く形になったと記憶している。自分達はまず内匠頭殿の刀を取り上げるとともに床に押し付けて動けなくした。そのうち近くにいた高家衆や院使御馳走役の伊達左京亮殿、また坊主どももやってきて次々と取り押さえに加わってくれた。上野介殿はいつの間にかいなくなっていた。誰かが運んでくれたのか、周りにも見えなかった。のちに聞いたところでは高家の品川豊前守殿と畠山下総守殿が上野介殿を引き起こしたが、ご老齢での負傷であるので、吉良殿にはほとんど意識がなくなっていて、この両名で御医師の間へ運んだということだそうである。
それより内匠頭殿は大広間の後ろのほうへ大勢に連れて行かれた。そのとき内匠頭殿は『上野介には恨みがある。殿中であること、また今日は儀式であることに対して恐れ多いとは思ったが、仕方なく刃傷に及んだ。討ち果たさせてほしい』と幾度も繰り返して申しておられた。しかしあまりにも大声であったので、高家衆をはじめ取り囲む人々から『もはや事は終わったのです。おだまりなさい。あまり大声では如何なものかと思いますよ』と言われたので、それ以降は内匠頭殿も何もいわなくなった。」

頼照はその後の赤穂浪士の討ち入りで高まっていく浅野贔屓の空気の中で辛い思いもしたようである。日記の最後には「この事件のことを色々知ることになった今となれば、内匠頭殿の心中は察するにあまりある。吉良上野介殿を討てなかったことはさぞかしご無念であったろう。本当に不意のことだったので自分も前後の思慮にまで及ばなかったのである。取り押さえたことは仕方なかった」と心中を述べている。


17::2019/11/21(木) 20:41:29.90 ID:xPG7CocS0.net

浅野内匠頭の行為はフォローのしようがない
ルール上も藩主としても
問題は吉良上野介の処分だろ
53::2019/11/21(木) 20:53:03.74 ID:2dODn0EcO.net

>>17
殿中で抜刀したわけでもないし完全な被害者じゃん吉良は
斬られただけで罰せられるとかいくらなんでも
内匠の守を色々バカにしたってのも脚色だし
91::2019/11/21(木) 21:14:29.92 ID:xPG7CocS0.net

>>53
本来、これが市中なら吉良は応戦
しなければならないが殿中という事を
理解した上で吉良は逃げた
その上、幕府に高家肝煎職の御役御免願いを提出
隠居までしてる
見事な対応だと思う
問題は幕府の対応
討ち入り前と討ち入り後ではまるで評価が違う
特に吉良義周は悲惨としか言いようがない
18::2019/11/21(木) 20:41:45.98 ID:9xQlOIjK0.net

城の外で待ち伏せて斬りつければいいだけなのに
浅野はよっぽどの基地外だったんだろうな
20::2019/11/21(木) 20:43:28.48 ID:/PRdamHi0.net

吉田伊達とか亀井とか大洲加藤あたりの浅野と同じ吉良の下でやってたやつらも吉良はクソだってたしな
息子が養子にいったからって名門上杉に集りまくって上杉の譜代たちはぶちギレだったらしいし
クズがキチガイいじめたら当然のように逆襲されたってだけ
主君の仇をとるぐらい家臣に慕われてたし名君だったのかもな
忠臣蔵の悪役として有名な義央の評価は全国的には芳しくない。もっとも忠臣蔵が上演される以前から、義央が行っていた長矩に対するいじめの話は広く世間に知られていたようであり、また義央は浅野長矩以外の御馳走人にも、いわゆるいじめを行っていたという話も残っている。

浅野が刃傷に及ぶ前、伊予大洲藩主・加藤泰恒や出羽新庄藩主・戸沢正庸が日光法会中に受けた義央のいじめを浅野に伝え、お役目を終えるまで耐えよと諭したという話が『冷光君御伝記』や『義人録』などに記されている。また、尾張藩士の朝日重章の日記である『鸚鵡籠中記』に、

「吉良は欲深き者故、前々皆音信にて頼むに、今度内匠が仕方不快とて、何事に付けても言い合わせ知らせなく、事々において内匠齟齬すること多し。内匠これを含む。今日殿中において御老中前にて吉良いいよう、今度内匠万事不自由ふ、もとより言うべからず、公家衆も不快に思さるという。内匠いよいよこれを含み座を立ち、その次の廊下にて内匠刀を抜きて詞を懸けて、吉良が烏帽子をかけて頭を切る」

「吉良は欲が深い者ゆえ、前々から皆贈り物をして頼んでいたが、今度の内匠頭のやり方が不快ということで、何事につけても知らせをせず、事々において内匠頭が間違って恥をかくことが多かった。内匠頭はこれを遺恨に思った。今日の殿中における御老中の前での吉良の言い様は、今度の内匠頭のやることは万事、思うようにならなかったのだから、もとより言うべきではなかった。公家衆も不快に思ったという。内匠頭はいよいよこれを遺憾に思って座を立ち、その次の廊下で刀を抜いて、声をかけて吉良の烏帽子ごと頭を斬った」と記述があり、松の廊下の事件が起こった直後の尾張などでも、こうした評判・風説がすでに広まっていたようである。

元禄11年(1698年)、勅使御馳走人となった亀井茲親は義央からいじめを受け、耐えかねた茲親は家老の多胡真蔭に洩らしたという。真蔭は主君を諫める一方で、密かに金遣役を呼んで納戸金一箱を取り出させ、茶菓子のなかに入れて手土産として吉良邸へ持参し、主君の無礼を詫びたうえ、指導引き回しを懇願して帰邸。翌日より茲親への態度が急に優しくなったので事なきを得た、という話が津和野名産の茶菓子源氏巻誕生の逸話として残っている。この逸話の初出は、忠臣蔵上演の後に記された大田南畝(蜀山人)の『半日閑話』(1768~1822年)とされている。


634::2019/11/23(土) 16:27:33.64 ID:cqyv6haG0.net

>>20
仇取りに行かないと他の所に仕えられない
再就職のためのパフォーマンスだった
26::2019/11/21(木) 20:45:53.49 ID:ZLjwY82d0.net

吉良さんって、地元では名君だったのに、短気な田舎侍のせいで…(´・ω・`)
41::2019/11/21(木) 20:49:36.85 ID:FF7t8Npf0.net

>>26
地元で名君などなんの参考にもならん。新潟では犯罪者田中角栄が今でも称えられているし、横須賀でも小泉は神
44::2019/11/21(木) 20:50:35.24 ID:/PRdamHi0.net

>>41
そもそも吉良は一度も地元要りしてない在京藩主だしな
名君は現地代官だ
30::2019/11/21(木) 20:46:23.19 ID:fbQTdfvy0.net

良いも悪いも無い
殿が意志を持って殺しに行って失敗したなら
それを引き継いで殿の無念を晴らすのが武士道
32:リバースネックブリーカー(埼玉県) [CN]:2019/11/21(Thu) 20:46:44

浅野家が潰されたら赤穂領民がお祝いした
34:スリーパーホールド(関東地方) [US]:2019/11/21(Thu) 20:47:21

キチガイとかそういうの関係なしに上司をたててキッチリ復讐を果たした忠臣たちを崇めるお話だろこれは
37::2019/11/21(木) 20:47:43.65 ID:DQNGdk3B0.net

頭の固い古い慣習に凝り固まった陰険守銭奴爺とキレやすい馬鹿
上様の手をわずらわせるから、どっちも取り潰されるのは当然なのよ
38::2019/11/21(木) 20:47:49.14 ID:yags0CaR0.net

吉良も武士なら返り討ちにするくらいの気概を見せろ
54::2019/11/21(木) 20:53:07.53 ID:J8HnRH9iO.net

吉良家は収入のわりに家格が上位に引き上げられて、
体裁を維持するために大変だったのでは
58:ツームストンパイルドライバー(宮城県) [US]:2019/11/21(Thu) 20:55:36

吉良って、基地外に殺されかけ、なんとか生き延びたと思ったら、その基地外の部下に殺された気の毒な人としか思えない
104:かかと落とし(茸) [IL]:2019/11/21(Thu) 21:24:29

>>58
自宅に47人のヤカラが乗り込んでくるんだから生きた心地はしないね

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